営業マンのページ(民間企業が求める人材とは) |
はじめに このページは主にこれから社会に出る学生の方々に読んで戴くことをターゲットとして書きます。 従いまして、既に社会人の方が読んだときに「なにを今更、とかそんな事当然」と思われるかもしれませんが、ご容赦願います。 しかしながら、「そう言われればそうかな」と新たな発見があるかも知れませんので、社会人の方も一読願います。 また、俺たちもそれなりに歳はくってますが未だ未熟な点、思い違いをしている点が多々あろうかと思います。 ご意見、ご質問がございましたら遠慮なく「メール」もしくは「俺たちの掲示板」へ投稿願います。 まあ、ここは「俺たちのページ」ですから、俺たちの独断と偏見が多々あるのはしょうがないか。 それじゃバリバリ言わせてもらうでー。 |
日本は資本主義社会である 特に義務教育はそうですが、差をつけずみんな平等であるような教育をしています。少なくとも俺たちの時はそうでした。 そんな教育を受けているので、高校入試で突然「偏差値」という個人の学力を数値化するメジャーがでてきて面食らってしまいます。「おいおい、俺たちは平等じゃなかったっけ。今まで友達だった奴を蹴落とさなけりゃ良い高校に入れないのかよ」 大学受験となると、もっと差がつきます。受験産業も広告であおります。受験者数が多い時は「今年の受験戦争は狭き門で激烈です」というし受験者数が少ない時でも「今年の受験戦争は少数激戦です」と言います。 そして、見事に全国の大学別のランクが数値化され序列化されます。 この「偏差値」による序列化に関して賛否両論で色んな意見がありますが、俺たちから言わせれば、そんな論議は無意味だからやめて欲しいということです。 なぜならば、日本は「優勝劣敗」の資本主義社会なんだぜ。何で教育だけ保護しなきゃならないんだ? だから、「偏差値」の高い奴は旧帝国大学や早慶に入ればいいんですな。また、私立大学だったら「スポーツ」やその他で他より秀でている奴は有名私立大学へは入れます。 結局、学力やその他の能力で他者より優れていなけりゃ話にならないんですな。 「何か」に秀でている人を優遇するのが「資本主義社会」の原理です。 こう言うと「弱者を切り捨てるんですか」というマイナスの意見がでてきますが、そうじゃないんです。「優れた奴は優遇する、弱者は保護する」のが現代の日本でしょ。 ここで俺たちが言いたいのが「弱者である」ことを武器として通常の人以上の優遇を受ける輩は絶対に許さんということです。(ここでは教育に関して) 保護するってことは、せいぜい通常の人並に近い教育を受けられることでしょ。もしそれ以上を要求するなら、そういう教育を保障してくれる外国に行くべきだと思いますが、如何に。 ですから、俺たちは主張します。「平等偏重の義務教育は間違っているので早急に改善して欲しい」「人間は生まれながらにして能力的に差があるので優れた面を伸ばす合理的差別教育をすべきです」 学校教育は「民間企業の戦力になる人材を育てる所でない」という意見もありますが、俺たちとしてはちゃんちゃらおかしい意見で笑っちまうよ。 教育が目的であれば「さもありなん」ですが、手段なんですから、何かの為の教育でしょ。 少なくとも高校以上の教育であれば「〜の為の勉強」は当たり前だと思います。よくあるのですが「目的と手段」を混同しちゃいけません。 ここで申し上げたいことのまとめとしましては、「日本の世の中は資本主義の原理で動いているので、その原理からかけ離れた学校教育を受けた君たちは社会にでると、ちょっと面くらいます」ということです。 それでは、明日からは社会の仕組みについて詳しく解説します。お楽しみに。 |