丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その1〜



「茜」の玄関です。奥の蔵みたいな建物は1Fが囲炉裏の部屋
2Fが美術館となっています。

バナーは左の写真で決まりですね。

ベルリンの壁です。1.5トンあるらしいです。(高さ約2m幅1m)
それを壁に埋め込んであります。
玄関を入ってすぐ左にありますから、ちょっとびっくり。

お待たせしました、「アンテイークギャラリー茜」編の開始です。このギャラリーは地元の新聞「丹波新聞」にも取り上げられており今の所、地元では超有名なところです。
「木もれ陽」がヨーロッパ風のお店としたら、「茜」は日本そのものでしょ。からっと開く格子戸がいいねー。
格子戸をくぐると、左手がギャラリーの入り口、右手には本当の蔵があります。
残念ながら蔵には入れてもらえず、しかたなくギャラリーに入りました。
すると、「ベルリンの壁」が目に飛び込んできます。
その鮮やかな色とその壁の大きさに感動してしまいました。壁のかけらは見たことがありますが、まさかこんなに大きい「ベルリンの壁」を目のあたりにできるなんて。この壁だけでも一見の価値があると思います。


丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その2〜

1Fの囲炉裏の間
ご主人を囲んで楽しい語らいの場となっています。



古いカンバンですね。「旭味」なんてあったんですね。

グリコの時計。いったいどこで手にいれたのでしょう。ちなみに、時計の針が一番美しい時間は10時10分という説もあります。ご参考にして下さい。

ご主人自慢のコレクション「立てバンコウ」
1Fの囲炉裏の間では、「陶芸サークル」の方10数名でお食事会を開いていました。ここだけの話、主に「おばはん」の集まりであった為、うるさいとかそういう次元ではありませんでした。俺たちが訪問した時はちょうどお開きになった所でした。ああ、やっと静かに見学ができる。

下の写真の「立てバンコウ」は明治時代のもので、浮世絵みたいに版画で刷られた切り絵です。歌舞伎役者の絵を綺麗にはさみで切り、舞台の絵に貼り付ける遊びに使用されます。
何故これが貴重かといえば、切り絵の版画なので、切っていない完全な状態でこの様に残っている「立てバンコウ」は滅多にないからです。どうりで、今思えば「ご主人」の説明に力が入っていたはずです。(数十点このような「立てバンコウ」が大切にファイルされていました。)

真中の写真のカンバンと時計は階段の壁にあります。これぞ通が喜ぶ「アンテイークコレクション」ですね。
旭化成が製造していた「旭味」は現在売っていませんので特に価値がありそうですね。
この手のカンバンは田舎のぼろぼろの納屋に貼ってありそうなものです。そう言えば「キンチョール」や「アース」のこの手のカンバンがなかったのは残念です。(特に由美かおるのやつで保存状態が良いもの)

何ですって、丹波篠山は田舎だから、そんなカンバン付きの納屋なんてなんぼでもあるってか。しかも皆、新しい?
嘘をついちゃいかんよ!え本当!                       ほんとのはずないやろ。あー疲れた。

次回はついに2Fの美術館の紹介です。丹南家17代当主のご隠居は次々回に登場します。お楽しみに。



丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その3〜

茜の2F美術館です
2Fに上がりライトを点けた瞬間です。新しい木の香りがぷーんと漂い、床板もその感触から良い木を使っているなという感じがします。
一面茶色のイメージが良く出ている写真ですが、実際もこんなかんじですよ。
ここでは、最初「若大将」の説明を聞き、次に「ご主人」の説明を聞きましたが、今ひとつ物足りませんでした。
最後の切り札としては、80歳になる「おじいちゃん」がおるらしいですが、近くの寺に行っていて今はいないとの事。
それじゃ、しばらく待たせていただきますか。
あすからは、じいさんの話を中心にご紹介しますが、もちろん全部はご紹介できません。「お宝」の宝庫でした。

丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その4〜

河南家 第17代当主の「おじいちゃん」です。
おっと、おじいちゃんが突然あらわれました。「ご主人」と話をしている時、外で作業着姿の老人がふらふらしていました。
「怪しい」と思っていると突然中に入ってきました。「まさか」とは思いましたがその「まさか」でご隠居のおじいちゃんでした。
その「水戸黄門」ちっくな登場にまずはど肝をぬかれました。

写真を撮るということで、帽子を脱いでますがその時は「作業帽」をかぶっていました。「作業帽」をかぶっていた方が雰囲気がますますでていましたが、残念ながら撮影できませんでした。

おじいちゃんは約80歳(正確な年齢はその場では本人を含めて知りませんでした)ですが、頭はごらんのようにピッカリすべすべ、スピーチもユーモアを交えておもろかったです。
戦争にも行かれたらしく、中国戦線に参戦されたとの事です。そういえば、俺たちが学生の時お世話になりました下宿のおやじも中国戦線に行かれていたらしく、縁側でいろんなエピソードを聞いており若干の知識は持ち合わせております。その為、本当は詳しく戦争のお話をお聞きしたかったのですが時間の関係で聞けませんでした。

次回はお願いしますね。

「狩野派」の絵師によってかかれた「洛中洛外図」
さて、写真の屏風が第一のお宝「洛中洛外図」です。「狩野派」の絵師によってかかれたらしいと言われており、もしそうだとすると
この「洛中洛外図」は7枚しかかかれていないらしいので、「本物」だとすると国宝級の価値があるそうです。

おじいちゃんいわく「本物かどうか鑑定に出すと500万円くらいかかるそうなんや。本物やったら国宝になるんで「紙切れ一枚」(預かり証)くるだけで戻ってきませんのや。偽物やったら、それでしまいで500万円がパーですわ。どっちにしましても損やから、こうやって飾ってるんですわ」とのこと。おっしゃる通りです。

歴史に興味がある俺たちとしては、屏風の内容に関して諸々おじいちゃんに尋ねましたが「よーわからん」という顔をしてましたのであまり深くは突っ込みませんでした。

「洛中洛外図」はもともと、室町時代の3代足利義満の時、彼が建造した「相国寺」のでっかい塔から見渡した京都の街を描いたものです。一方「狩野派」は安土桃山時代ですので、元祖「洛中洛外図」とは違うということはすぐわかりましたし、「絵」に淀城が描いてあることから、かかれた時代も安土桃山かそれ以降ということで「狩野派」の絵師が描いた可能性は否定できません。

まあ、真偽は別としても美しい屏風ですので、一見の価値は十二分にあります。できれば「開運なんでも鑑定団」に出展して戴きたいと思いますが。


丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その5〜

約1000年前に製作されたと言われている「佛画」
「八方睨み」の手法が使われています


ちょっと怖い「佛画」ですよね。1000年前といえば平安時代ですが、「おじいちゃん」に聞いても1000年前に描かれたという根拠が良くわかりませんでした。ところで、この絵は「八方睨み」の手法が使われていますので、左右どこから見ても目がこちらをみています。

「八方睨み」の手法を使った絵は京都の寺に行くと良くみかけます。(主にふすま絵かなんかに良く見かけます)
俺たちの薄い記憶では、狩野派の誰々であったり、円山応挙がよく用いた手法であったと思います。

この絵も一見に値しますのでお見逃しなく。


旧家
廃藩置県の折、篠山城「隅櫓」を移築
昭和55年まで「河南家」本家の住まいでした。

俺たちといえば「通風」
こんな通風の薬の免状は見逃しません。


やはり「おじいちゃん」とこの河南家はすごい名家でした。お城の隅櫓を移築するなんて通常の家ではできない相談でしょ。
さらに、ちょっと見づらいですが、屋根の所に「家紋」がかいてあります。(ここをクリックして下さい。)
なんと、「毛利家」の家紋なんですね。

実は、この絵の下に「河南家」の由来を記した古文書がありまして、その説明を「おじいちゃん」に聞いているまっ最中に間が悪いことに「おじいちゃん」に急用が入り中座してしまったため、家紋の由来等々は聞きそびれてしまいました。非常に残念です。
途中までの話としては「河南」という苗字ができたのは江戸時代でその前は「平氏」であったという。
「なぬ「平氏」っちゅうのはちょっとおかしいのと違いますか。」と聞こうと思ったら、急用で去ってしまうし。

何がおかしいかと言えば、「氏」(うじ)というのは、かつて天皇家であった人が皇族を離れて臣下になる時に、賜るもので古より「源平藤橘」しかなく、唯一例外として秀吉が天皇より賜った「豊富」を加えて5氏しかなく、かつ氏を名乗れるのは本家のみであり本家以外は苗字を名乗るのが通例だからです。
「おじいちゃん」の所は、あの有名な「桓武平氏」でないにしても「平氏」の本家だったんですか。

ですから、現在でも「源さん」「平さん」「藤原さん」「橘さん」「豊臣さん」を名乗る人はおるでしょうが、ただ名乗っているだけで「貴いお方」でない可能性が高いのです。


丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜その6〜
(最終回)

旧本家で使用されていた篠山城隅櫓のかわら

「おじいちゃん」が突然急用で外出してしまいましたので、2F美術館のご紹介はとりあえずおしまいです。
2Fにあるコレクションだけでも真面目に取り上げたら1年くらいかかるであろうボリュウムがありますので、ちょうどよかったかもしれません。もっと詳しく知りたい方はじかにご覧になった方がいいです。とりあえず、見学は無料ですので、下記連絡先にあらかじめアポイントをとって戴いて現地に行ってください。(とりあえず、まず「木もれ陽」で一服して戴いて「茜」に行くのが常道でしょう。)

遠くてなかなか篠山に行けない人に朗報です。「木もれ陽」のご紹介の第一回に紹介しました「某大手事務機器メーカー」に勤める「若大将」が近々「木もれ陽」及び「茜」を題材としたHPを開設されるそうです。
現在は「営業の第一線」で活躍されている「若大将」は決算の追い込みでHP製作どころじゃないらしいです。

その点「気ままな生活を信条としている俺たち」は毎日HPを製作できるので幸せな境遇かも?
「若大将」のHPはお正月明けくらいに開設予定らしいです。
開設されましたら、当HPでも全面的に宣伝いたします。ご期待下さい。


1F囲炉裏部屋\
奥の階段から2F美術館へ

1F囲炉裏部屋
左の写真の逆側から撮影


いい感じの囲炉裏の部屋でしょ。このような所で、語り明かしたいよね。ここで、俺たちも「ご主人」「お客さん」「おじいちゃん」「若大将」と語りましたが、いい感じでしたよ。写真には写ってませんが、天井は吹き抜けで張りが見えていますが、柱には柿渋が塗ってありちょっと黒ずんだいい色になってます。
これぞ日本です。
次回は「日本酒」かなんかを囲炉裏で熱燗にして「キュー」っと一杯やりながら「おじいちゃん」の自慢話をお聞きしたいので宜しくお願いします。
アンテイークギャラリー茜」のご予約先は 「木もれ陽」まで  TEL 0795(94)3952

土日は混雑が予想されますので早めにに予約されたほうが良いと思います。



丹波篠山の意外な発見「アンテイークギャラリー茜」のご紹介
〜番外編〜

本家の「茶室」にある屏風
本家の茶室にありました「屏風」及び「壺」です。この屏風もたいしたものでしょう。こういう所でお茶を戴きながら「無」の境地を味わいたいものです。

「娼妓場」料金表
「娼妓場」いわゆる公認の遊郭ですが、その料金表がこれです。拡大図はこちらをクリックしてください。
昭和13年当時の物価を知りたいところです。「一晩平日で10円というのは、安いですか高いですかねーF郷さん。」
戦前の当時は、遊郭は公認でしっかりと料金もきまっているのですから、素人さんでも「安心してそこに行けます」。
赤字の国の歳入を建て直す為に、「公認の遊郭」を再度つくってもいいんじゃないですか。

この「お宝」もどこで手にいれたか、「ご主人」のコレクションの一つです。

「アンテイークギャラリー茜」には正直言って本当に「驚き」ました。皆さんも是非お近くに行く用がありましたら立ち寄ってください。そして俺たちの意見に「賛成」「反対」して下さい。ご意見お待ちしております。

「アンテイークギャラリー茜」へのアクセスは上の「最終回」をご参照ください。
それでは、取材にご協力戴きました「おじいちゃん」「ご主人」「奥さん」「若大将」にお礼を申し上げてこのページを終わりたいと思います。
「ありがとうございました」