TOKYO CITYを走る (2006.10.9)86km 秋晴れの下、江戸文検の対策下見に、下町へ行ってきました。 しかし、意外にCityRideは体力を消耗しました。 |
快晴の秋晴れです。 こんな良い天気の中、俺たちは何と10時過ぎまで寝ていました。 全くもったいない。 本来であれば、6時には起床して遅くとも7時には出発するべきだったのです。 五日市方面の峠にちらっと行こうかと思いましたが、時間的に無理と判断、TOKYO CITY Rideに切り替えました。 |
江戸と言えば東京、東京と言えば「東京食堂」でしょう。まずはここからスタートです。 そして、中野サンブライトツインビルです。とりあえず、ここは外せないでしょう。 |
新宿は、四谷三丁目近くにありましたねー。「新宿歴史博物館」。 今日は時間がなかったので入場しませんでしたが、「内藤新宿」の逸話が満載的な雰囲気を感じました。 ここも立ち寄るべきかと思います。 |
そして以外にすんなり内堀通りに到着しました。 下り坂基調ですので、桜田門にもすぐ到着しました。 しかしこの内堀通りの歩道は名にし負うランナーのメッカでした。 走っている人が一杯いました。 この桜田門から皇居広場方面に抜けられるのですが、この世界ではチャリは最強の移動手段でした。 例えば、門に近づこうとした場合、200m〜300m移動しなければなりませんが、歩きだと数分かかりますので、気軽に行くのはちょっと考えます。 ところがチャリだと、2〜3回漕いで惰性で進むと着いちゃいます。 |
有名な二重橋の光景ですね。 ここの広場は砂利なので、自転車では行けません。(マウンテンバイクならOKかも) |
坂下門(左)です。 ここの門はご覧のように工事中だったのですが、この門まで近づくのに100mくらい歩かなきゃならないので近くに行く人は皆無でした。 でも、スポーツ自転車である俺たちは、シューッと5秒くらいで近づき、何のへんてつも無い工事中なので一枚写真を撮り、その場を去ったのでした。 徒歩だったら、こうは行かないよ。 近づくのに恐らく30秒以上かけなければなりません。そして何もなかったら、がっかりで3倍くらい疲れるよね。 写真右は「桔梗門(内桜田門)」です。 ヘルメットにサングラスの俺たちがチャリでスーッと近づき、ウエストバックからカメラを取り出すべくゴソゴソしていたら、この2人の警備員は俺たちをかなり警戒してたね。 もう少し怪しい挙動をしたら逮捕されていたかもね。 しかし「お・ここが 桔梗門か。パチリ。 すいません、門を撮影していいですか?」 という俺たちのとぼけた申し出に、「どうぞ」と言い、ご覧のように2人とも横を向いちゃったのです。 お仕事の邪魔をしてしまいましてすみません。 |
さて、坂下門の次は大手門です。ここから旧本丸跡を見学できるみたいですね。 写真右は、東宮御所がある平川門です。 まあ、皇居を極めるにはそれなりの時間がかかります。 今回は、このへんで終わりにしましょう。 |
やはり、始めは日本橋でしょう。 今でこそ、高速の下で抑圧されていますが、ここが五街道の起点ですよ。 高速があろうとなかろうと、もっとクローズアップすべき地だと思いますね。 |
ここは、日本橋馬喰町の近くです。 休日ですので、ご覧のようにほとんど車はいません。 お陰さまで比較的スムーズに走行できました。 休日の都心部は空いていて何か良い感じでしたよ。 |
ここは、神田川に架かる「柳橋」です。この橋のすぐ先が隅田川です。 神田川の源流は井の頭公園の井の頭池だって知ってました?そしてここ柳橋の先が終点です。 神田川はその始点と終点が分かり易い川の一つですね。 ところで、柳橋の場所はというと、この一つ上流の橋の名前が有名なので分かり易いのです。 一つ上流の橋の名前は「浅草橋」と言います。そうです、JR浅草橋駅がすぐ近くにあります。 柳橋の袂にあった右の石碑に次のような気の効いた俳句が書かれていました。 「春の夜や 女見返る 柳橋」 子規 「贅沢な 人の涼みや 柳橋」 子規 ここ「柳橋」は、明治時代には「新橋」と並ぶ花街だったそうです。 |
浅草「雷門」に意外にすぐ到着してしまいました。やっぱり都内はチャリが早いです。 この「雷門」の正式名は「風雷神門」と言います。京都は「建仁寺」に俵屋宗達筆の「風神雷神図」がありますが、あのような「風神雷神」が良くある金剛力士像みたく鎮座してるんでしょうか? 詳しく見たことがないので不明です。 今回は、そのあまりに多い人出に辟易としてさっさとこの場を立ち去りました。 ここからは、国際通りを北上し、日本堤沿いに東に行き、「橋場」のあたりに出ました。 「橋場」と言えば、池波正太郎先生の名著「剣客商売」の若先生が住まっている場所です。 「ここがあの橋場か・・・フムフム」と一人納得しながら川に沿って南下、車両通行不可のめずらしい橋である「桜橋」を渡り向島へ。 |
ここは、長命寺裏にある和菓子屋である「山本や」です。江戸時代より桜餅が名物の店ですが人の気配がしません。 おかしいと思い店の近くに行ったら、何と「月曜定休」だって。 今日は休日なんだからさー。開けてよ。 あの商売っ気がない「深大寺の蕎麦屋」でさえ、定休日が休日だったら店を開けてるんだぜ。 一つ宜しくお願いします。 |
そして、ついに着きましたよ「江戸東京博物館」に。 ところが、もう時間は3時です。 ゆっくり見学してたら、夕方になっちゃうので、今回は見学せずです。 でもこの施設はデカかった。 真面目に見学したら半日かかっちゃうと思われます。 「江戸文検」の試験の前までには行きたいと思います。 |
仙台堀川のほとりに「清澄庭園」はありました。ここも入園せず、外から眺めただけです。 掲示板を見ますと、三菱財閥創始者の「岩崎弥太郎」が大名の下屋敷等を買い取り、造った施設であり庭園のようです。 どこの大名の下屋敷であるかを知りたい所ですが、不明です。 |
小名木川の橋の袂に、芭蕉の句が書いてありました。 有名な「古池や 蛙 飛び込む 水の音」 は、萬年橋を渡り隅田川をちょっと北上した所にあった「芭蕉庵」で詠まれた俳句です。 この萬年橋は、隅田川に架かる永代橋にちなんで、萬年としたようですね。 そうそう、この「小名木川」は行徳の塩田で採取された塩を運ぶ為に掘られた堀です。 千葉県で塩が取れたとは驚きです。 |
ここは、小名木川と隅田川が交差する所です。ちょっと見にくいですが隅田川に架かる橋が清澄橋です。 この橋、ドイツはケルン市のライン河に架けられた吊り橋をモデルにしているとのこと。 東京の中心部は意外に狭いことが実感でわかりました。 また、休みで道が空いていて快調に走れるのですが、信号が多いのでストップ アンド ゴーの頻繁な繰り返しや、狭い路地から出てくる車や、追い抜いて行くバイクに気を使ったりで、肉体的にも精神的にも疲れます。 たまにCityを走るのは良いですが、俺たちとしては主戦場はカントリーかなと思わせる一日でした。 さて、この土曜日はゴルフですので、日曜のツーリングはいつもの練習コースでしょうね。 まあ、たまにはゴルフも良いよね。 それでは。 |