印旛沼に産まれて初めて行って来ましたよ!!
(2006.8.27)129km
オランダみたいな光景が広がっていました。
最近チャリに関するエッセイを良く読んでいますが、それらによりますと、オランダはいわば自転車の先進地域とのことです。
街は排気ガスを出す車が中心でなく、自転車中心の造りとなっています。
もちろんサイクリングロードも充実しているらしいのですが、この印旛沼CRはそのオランダを見習って造られたのか、かなり走り易い良い道です。




さて今回は、俺たちの故郷、千葉県の北総地域を走りました。
コース:(輪行)北習志野〜県立薬園台高校〜三咲小学校〜八木が谷〜八木が谷小学校
〜大神保〜豊富〜新川〜西部印旛沼(印旛沼CR)〜北部印旛沼〜同じ道を往復〜新川〜花見川
〜東京湾(花見川河口)〜マリンスタジアム〜妙典(輪行) 129km走行

まず訪れたのが、母校 薬園台高校です。
もちろん夏休みなので学校は閑散としています。
注目されたのが「薬園台高校文化ホール」なる建物が建っていたことと、園芸科の農場が広がっていたことかな。「文化ホール」の名付け親の顔が見たいよね。
「文化住宅」じゃないんだからさ。もう昭和じゃないんだよ!!
あと、我等が「武道場」も建物がかなり古くなってました。俺たちの頃は新しかったのにね。
(しかし、早いもので何と26年前の話だけど)

古くなったと言えば「八木が谷小学校」も古くなってました。
何を隠そう俺たちはこの小学校の第一期卒業生なのです。その時はピカピカの校舎でしたが、そこにあるのはヒビが入ったちょっと古めの校舎です。時代の移ろいを感じます。もう31年前のことですからね。

今回の走行の前半は、嘗て住んでいた船橋の思い出の地を走ったのです。
今はなき実家の、隣のおじさんの家を通り過ぎがてら覗くと、なんと年老いたおじさんがソファーに座ってTV
を見ているじゃないですか。
そういえば俺たちが小学生だった頃、鍵が無く外で佇んでいた時、おじさんは家に招いてくれて色々話をしたっけ。(今度はアポイントをとって訪問しますね)

そして「新川」に向います。
この川も俺たちが小学生だった頃チャリでよく釣りに行った所です。
そのコースを今回も行ったわけですが、良くザリガニ釣りをした大神保の池や、いつも座っていた木がそのまま残っていました。感動です。
このコース、ランドナーで走ってもなかなか走り応えがありました。10kmくらい走ってやっと「新川」に到着しました。

ここからちょっと上流の逆水橋付近までは何回も行きましたが、そこから先は未知のゾーンです。
今回、走って分ったのですが、印旛沼(西部)は案外近かったことです。
印旛沼(西部)に着き暫く走ると冒頭の写真の風車がある休憩所に着きます。
ここは、駐車場も完備しており、自転車を車に積んできたツーリストが自転車を組み立てていました。
何かすごく贅沢な雰囲気がそこにはありました。



印旛沼(西部)と印旛沼(北部)を結ぶ水路です。
なみなみと水をたたえているこの景観はヨーロッパのライン川を思わせる光景でした。
また、印旛沼CRは写真右のように開けた風景の中、整備された道が延びています。
本日は若干湿気はあるものの暑くなかったので、比較的快適なサイクリングができました。



印旛沼(北部)までくるとCRを走る自転車はグッと減ります。
その分静かな走りが楽しめました。
右を見ると沼、左を見ると広大な田園風景があります。
それは、ここら辺は江戸時代に沼を干拓して田園を造っていた関係でしょう。

北総地域には、この印旛沼と並んで手賀沼があります。
その北には「坂東太郎」利根川が流れています。
何かこれらの沼と利根川の関係がありそうですね。
でも、その関係が分らないんだな。申し訳ない。

帰りは新川CRを東京湾まで下って東西線まで行くつもりです。
しかし、新川は途中の大和田水門で水脈が絶たれており、下流は別の川になっていました。
配水管からは生活用水が流れ込み、さながらドブ川に成り下がった新川がそこにはありました。
ところが、しばらく走りますと写真のような山の中の川になっていました。
川の名前も「花見川」になり、かなりいい感じです。
こんな良い環境ですから、ウオーキングやランニングする方々が、いつの間にか沢山いる環境になっていました。
あの、どぶ川がなんでこうなるの?
水もこの環境のおかげできれいになっています。

そうこうする内に、河口に到着です。
この河口近辺もテニスコートや運動場などがあり整備された良い雰囲気ですね。
ハゼなどを釣る釣り人があたりにいました。
花見川河口から東西線までは、そこそこ距離があります。
通常は、道路を走り俺たちですがご覧のように広く整備され、且つ歩行者もいない歩道が続いているので、ここを走りました。南船橋駅のあたりまではこのような歩道がありましたが、そこから先が通常の狭い歩道となってしまいます。
残念ですね。
横浜まで、ずっとこの手の歩道が続いていたらいいなと、つくづく思いました。
できれば整備して欲しいものです。