三浦半島一周ツーリング


(2006.3.5 89km)



剱崎近くの高台の畑

丘の上には一面の大根畑がありました。
収穫目の前でしょうか。
昼間は暖かいものの夜はまだ寒い昨今です。
おでんで大根を食べたくなりました。


すっかり春めいてきた今日この頃。自主トレが終わり本格的なチャリシーズンとなりました。ITエンペラー隊の今年最初の行軍は三浦半島一周ツーリングとなりました。

今回のコースは以下の通りです。
輪行〜横須賀〜観音崎〜剣崎〜城ヶ島〜三崎〜鎌倉〜江の島〜輪行  走行距離89km 走行時間5h

このコースは昨年、久里浜まで輪行して行きましたが、その時行けなかった岬を今回はくまなく行く事が今回の大目標です。
しかし、快晴にしてほのかに暖かい気候だったので最高の走りができました。




横須賀

潮の香りを全身に浴び走り始めます。
海辺を走るのは本当に気持ち良いですね。
島は猿島です。
HPを見ると、夏は海水浴ができるらしいし、アサリ
も採れてしかも美味しいらしい。



横須賀と言えば嘗ては帝国海軍の軍港がありました。今はと言えば、米軍基地があるんですねー。
しかし何時までアメチャンは日本に進駐してるんですかね。
そろそろ日本国軍に施設を返還してもいいんじゃない。おっとその為には憲法を改正して正式に日本国軍を新設しなくちゃね。まあしっかりしたシビリアンコントロールの下で軍を統制するには国の基本法である憲法で軍を定義しなくちゃだめだよね。
現状、憲法上では軍が無いのに実質的には軍である自衛隊が存在し、その規定も自衛隊法なる一般の法律で規定しているという、とても危険な状況なのです。
早期、憲法改正が望まれます。
おっと、ここは「ランドナーのページ」でした。
横須賀の街を少し走ったけど、米軍関係のアメチャンらしい方々が散見されます。異国情緒あふれる街、横須賀ですね。

ふと横を見ると「三笠公園」なる看板を目にしました。
「戦艦三笠」と言えば、かの日露戦争で活躍した連合艦隊の旗艦です。
日本海海戦では連合艦隊指令長官「東郷平八郎」が乗船し、ロシアが誇るバルチック艦隊を参謀長「秋山真之」が立案した丁字戦法により撃滅したのです。
当時は、特攻のような精神主義でなく敵に勝つために何をすべきかを合理的に考えている時代でした。
海軍においては、ハード面の充実、即ち、保有する戦艦の数、排水量、艦砲の大きさ・数、使用する火薬、砲弾の開発と物で敵に負けない装備が必要です。
更に、ソフト面の充実、即ち、正確な射撃の工夫(一斉射撃等)・訓練、迅速な艦隊運動の訓練、そして新戦法の開発がされました。
まさしく、勝つべくして勝った戦が「日本海海戦」なのです。
この合理的な精神が受け継がれて行けば良かったのですが、間違った精神主義が肥大して受け継がれちゃったようですね。

おっとまたまた、話がそれました。
横須賀の街は異国情緒あふれ且つ海の男の匂いがしました。横須賀の街は見所が沢山ありポタリングするには良い街だと思いました。
しかし、先を急ぐ我等ITエンペラー隊は敢えてどこにも寄らず第一の目標地点、観音崎を目指しました。




観音崎近くの浜

この時期は、ワカメやカジメが浜辺に打ち上げられています。浜ではご覧のように
カジメをそこらじゅうで干していました。ふと右を見ると浜辺では少年達が団体でキャッチボール
をしています。写真の右にも浜辺をランニングする少年達が写っていますね。
まるで、南紀白浜の光景のようでした。


ユーミンの歌に「よそゆき顔で」というのがあります。
「砂埃の舞う道の脇に、小さなガソリンスタンドがある・・・」から始まる名曲ですが、この歌の場面がここ観音崎なのです。2番の歌詞に「砂埃の舞うこんな日だから、観音崎の歩道橋にたつー。ドアのへこんだー白いセリカがー、下をくぐって行かないかー・・・」っていうフレーズがあるのです。
「観音崎の歩道橋」はどこなのか学生の頃からの疑問でしたが、今回も疑問が解消せず。
サビの部分「よそゆき顔でー、すれ違ったら嫌な奴だと怒っても良い、よそゆき顔ですれ違ったらー、好きなだけ笑って・・・」と歌いながら走りました。
ンーん。青春時代を思い出します。





剱崎

遠くに房総半島が見えますね。春の海は透明度も高く、泳いだら気持ちよさそうです。
灯台は剱崎灯台です。観光地化されており人が一杯いるかな、と思っていましたが、俺たちだけでした。
日本には、あまた岬があると思うけど岬には灯台が似合うよね。
いつも「ニューサイクリング」を購入がてらおじゃましている、三田の「シクロサロン」のオヤジは
日本の城跡をチャリで回っているらしいので、それに習って灯台を廻るのも良いかもね。



剱崎は、房総の突端である洲崎と並んで東京湾の入り口にあたります。
そういえば、剱崎と観音崎の間が浦賀で海を見るとやたら行き交う船が多かった。あそこが有名な浦賀水道なんですね。
剱崎と観音崎間の陸の方はというと、道を外れかなり急な坂を登ると厳重な鉄柵があり、シェパードにワンワン吠えられました。そう言えば地図に刑務所があったけど、そこに行ってしまうとは・・・。
そこは3方険しい断崖に囲まれており鉄柵もかなり高いので、脱獄はかなり難しいなと思いましたとさ・・・。

しかし剱崎と言うと、剱崎スルメを思い出してしまう。剱崎スルメが無性に食べたくなってしまいました。

ここ剱崎は、メインの道路から離れているし京急の駅も遠いので観光地化されていません。
アプローチルートも狭い道しか無いし、駐車場もない。磯遊びもできそうだし、隠れた穴場だと思いました。




三崎手前の高台にある宮川公園の風車です。
ヴォンヴォンと凄い音を出して勢いよく回っていました。
どのくらいの発電能力を持っているんでしょうね。
他のHPによると、当時の通産省の研究設備のようです。
この風車の下にライトアップ用のサーチライトが設置されていたけど、まさかそれ用の電力源じゃないよね。

紺碧の空の下の白い風車は絵になります。




         宮川公園


ここまでくると城ヶ島や三崎漁港はすぐそこです。
ここは高台にありますので昼飯前の登りとなり、ちょっと辛いかな。一汗かくくらいで、到着します。将に理想的な登り坂と言えますね。
今回で2回目の三浦半島ツーリングですが、三浦半島らしい光景はここまででしょう。
ここから先は、ヨットハーバーや湘南の延長的な風景があらわれます。まあ、それも三浦半島的と言えばそうなんですが、サイクリング的にはさーっと走ってしまいましたね。
この世界は海で遊ぶ方々の世界ですから、俺たちとしては、夏「トライアスロン」宜しく海パンを持参すれば、かなり面白い地域になるかなと思いました。

三崎では「ちりとてちん」でマグロ丼を食し、(もちろん、生ビールを少々飲みましたが)力をつけます。


材木座海岸です。
嘗て、ウインドサーファーだった隊長が通いに通った場所です。
ここで聞いた、※隊長の逸話には笑いました。
それは、次回のお楽しみということで。

ここまで来ると、江の島はすぐそこです。
しかし、道路が混んでいるので注意が必要です。
疲れていますので、注意力も散漫になっています。
細心の注意を払ってのウイニングランを楽しみましょう。




材木座海岸           

       
今回は時間がなく、江の島及び江の島へ渡る橋にある屋台へは残念ながら行けませんでした。
何たって17時6分発のロマンスカーを外すと19時までロマンスカーがありませんので。
16時30分頃、片瀬江の島に到着。
切符を買って、輪行の準備で丁度良い時間になっちゃいました。
残念ながら江の島のお楽しみは次回ということで。
隊長とは、境川CR経由の道で江の島堪能ツアーを開きたいと思います。




※隊長の逸話
嘗てウインドサーファーだった隊長は毎週のように材木座海岸に通っていたそうな。
血気盛んな若かりし隊長の夢と言えば・・・。
「フェラーリのオープンカーに愛人を乗せて10数年後にはきたるでー!!」というもの。
そんな話をブチブチ言う隊長。 聞かないつもりでも聞こえてきましたよ。
その続きは・・・。
「フェラーリどころか、家の一軒もまだ買えない状況 ぶつぶつ・・・」
「増して愛人どころか、むさ苦しいオッサンと、しかもチャリで来るとは・・・。」
人生なんてこんなもんです。
「むさ苦しいオッサン」と来ているから家族円満なのだし、且つチャリできているから健康が保たれているんですよ。
40を過ぎた我々としては、いかに健康に過ごすかということは大きな命題ではないでしょうか。
しかも、ただ健康でなく、チャリ生活を加えることにより無限と言っても良いくらいその健康に充足感を付加する事ができるのではないでしょうか。

まあ、「青春の舞台 三浦半島」とアドマチック天国的にキャッチフレーズを付けさせて戴きましょうか。