新聞配達のページ

俺たちが浪人している時、新聞配達の住み込みのバイトをしつつ予備校に通っていましたが、その時の話をしよう。
剣道のページで早稲田予備校に通い、新聞配達の住み込みバイトをしたことをお話しました。このページでは、その時の出来事を詳細に描写しようと思います。今から思えば懐かしいできごとですね。
さて、俺たちが通った予備校は、あの13時ホールで有名な早稲田予備校です。
早稲田予備校は高田馬場にある予備校ですので、俺たちの住まいは通うのに便利であり環境が良い所ということで中野の地を選定した。

中野は、総武線 中央線 地下鉄東西線が相互乗り入れしている交通の要所だ。
高田馬場へは2駅でいける。
俺たちは、中野の読売新聞の販売店へ住み込みバイトをすることとなった。(詳細は省略)


環境


 当時の中野は、駅の北側は中野サンプラザ サンモール ブロードウエイ 仲見世通り等の繁華街がありかなり賑わってました。南側は丸井本店がある他はどちらかと言えば住宅街でした。
そこそこ都会でそこそこ住宅街という住むのには良い環境だと思います。

住む場所は、販売店近くのアパートをあてがわれました。そこが驚くなかれ木造3畳の東向きのアパートでした。(もちろん、水道 トイレは共同)(今思えば、案外と人は住んでいて、ばあさん連中が共同の炊事場で飯をつくっていた)
3畳という環境は後にも先にもあそこだけだよ。なんたって机と小さい棚、あとは布団を敷いて一杯一杯という環境だ。
ですから、布団をたたまないと何もできない。その意味からすると毎日布団の上げ下ろしはしていたな。

食事はといえば、新聞販売店が基本的に朝夕の2食付きなので特に食事に苦労はしません。
昼食は 予備校の食堂(300円くらいでたべられる)か中野南口の牛友チェーンの牛丼、もしくはカレー(安くて量が多い)を食っていました。
当時は食べ盛りであったのか、昼飯を食ってもすぐ腹がへり、近くのファミリーマートへ行きポテトチップ+牛乳500mlを飲み且食っていました。それでも足りないくらいでしたね。
ファミリーマートといえば、そこにバイトのかわいいお姉さんがいたな。
その影響で、そのファミリーマートへは、当時流行っていた「パルフェ」を買ったり、ジュースを買ったりとしょっちゅう、買い物に出かけていましたね。


新聞予備校生の一日


月曜から金曜日までは通常は次のような生活パターンだったな。

 朝5時起床。お店で新聞にチラシを入れ自転車に新聞を積み込み5時半出発。7時配達終了.
お店で朝食を食べアパートで一休み。その後予備校へGO。
予備校は午後2時頃には終わっており、夕刊の配達開始時間の3時半頃には間に合う。5時前に夕刊配達終了。(夕刊は薄いので配達も楽なのである)
翌日のチラシは夕刊を配った後に段取りをとる。夕食は6時頃だったのかな。飯を食い銭湯に行ったりしてなんだかんだで勉強を始めるのが7時半ごろ。3時間ちょっと勉強して寝るのが11時頃。まあこんな感じで毎日が過ぎていった。

生活に余裕ができるのが、土曜日の午後と日曜日さらに旗日 新聞休刊日でしょう。
まず、土曜日は予備校が午前のみなので午後の時間に余裕ができる。日曜日は夕刊がないので朝刊を配った後はその日は予備校もなくフリー。旗日も夕刊がないので朝刊を配った後はフリー。
新聞休刊日は月1回ありまして、通常は旗日が新聞休刊日になります。新聞休刊日は製作がお休みの日ですので配る側の俺たちとしては、新聞休刊日の翌日の朝刊が休みになります。俺たちの立場からすると、新聞休刊日の時は、旗日なのでその日の夕刊は休み、次の日の朝刊が休みということで、どうなるかといえば、新聞休刊日の朝刊を配った後は翌日の夕刊まで休みということです。2回配るのが休みとはいうものの結局は毎日配っているのには変わりありません。
しかし朝刊を配り終わるのが朝の7時。そこから翌日の16時くらいまでフリーというのは私を含め皆嬉しそうでしたよ。

毎日3時間の勉強で大丈夫かって。とりあえず、しばらくは大丈夫でした。その代わり、予備校は全出席でしたし、自学習の3時間はかなり集中していました。いつも脅迫観念として人より勉強時間が少ないという劣等感をもっていましたので空いた時間はほとんど勉強にあてていました。


新聞予備校生の楽しみ



その販売店の人員構成は次のとおり。  専任配達員 2名  学生配達員 4人  予備校生配達員3人 女子配達員1人の10名でやってました。(人員の入れ替えはぼつぼつありましたが)

俺たちの楽しみといえば、新聞店の食事のない時、つまり日曜の夜、旗日の夜等に飲みにあるいは食事に外食することです。焼肉1000円食べ放題の店(ハナマサ)とか焼肉1000円食べ放題ジュースも飲み放題の店に行ったりよくしましたね。
また、大学生の人は金を持っていたので、「村さ来」によく連れて行っていただきました。その時初めてほっけをたべました。
酒を飲んで初めて潰れましたね。
東京経済大学の人でしたが、本当に有難うございました。



新聞配達員の初給料



それまで、俺たちの場合親からおこずかいをもらっていましたが、4月20日に初めて給料をもらいました。確か6万円くらいでしたか・・・。販売店のおやじから給料をもらい、アパートに帰ってからその給料袋をしみじみ眺めて思わず涙してしまいました。なんせ初めて自分で稼いだ金がそこにあり今の3畳のアパートも自分の稼ぎでまかなっているんですから。親から初めて独立できたなと心底思いました
俺の人生の初任給はそこにあったので、会社勤めでもらった初任給ははっきりいって感慨はなかった。

ちなみに夏はボーナスも支給されました。確か3万円だと思いましたが、粋なはからいで全部千円札でしたので30枚も札があり、もらいがいがありました。なかなかのパフォーマンスだと思いました。


浮浪者のおっさん

 浮浪者のおっさんもテリトリーがきまっているらしい。映画館の前では学生帽をかぶったおっさんが寝ているし。酒屋の裏では、ビールの空き瓶の底に残ったビールを集めて飲んでいるおっさんがいつもいる。
仲見世通りは飲み屋がいっぱいあるんで彼らとしては住みやすかったのだろう。


同業の配達員

 朝日新聞の奴とはいつも顔をあわせていたので、友達になり新聞を交換していた。受験生にとって、朝日新聞の天声人語、社説は必須です。どうやって交換してたかって。とある電柱の裏を交換場所としていたんです。

ラッキーな日


通常新聞は配る数より5部程度多く持って行きます。配っている最中に、サラリーマンの人が新聞を買ってくれる時がたまにあります。当時、新聞は1部確か70円で自販機のジュースも70円だった。毎朝、女子寮の前の自販機で「ベルミーコーヒー」を飲む事が日課でしたが、1回分のジュース代が浮いただけで当時は1日ハッピーでした。

さらにラッキーなのは新聞を新規にとってくれるお客さんにあたった時です。読売奨学生の場合は集金と勧誘の仕事はなく朝夕配達するだけです。しかし、夕刊を配っていると呼び止められ新聞の契約をしてくれるお客さんがいます。
そんな時は配達後「バスボン」の石鹸セットをもって契約を取りに行きます。俺たちへの報酬は1ヶ月契約をとると500円くれました。通常は3ヶ月は契約してくれるので1500円也。うれしさに涙涙。

富士急ハイランド

秋頃、富士急ハイランドで新聞勧誘表彰式兼慰安会が実施される。読売新聞は強引な勧誘で有名らしいが俺たち新聞奨学生はそうじゃない。専門の勧誘員は確かに強引ですね。まあその経緯は別として勧誘を沢山した人を表彰していました。
そんな儀式はそこそこに、あとはフリータイム。乗り物はタダ券がいっぱいあるのでただ。乗り放題だったね。
新聞休刊日を利用したイベントでしたが大変楽しめました。

読売奨学生


予備校生及び大学生をターゲットに制定された制度で、予備校生の場合1年間勤め上げた場合予備校費用を読売新聞が持つ制度。大学生の場合4年間勤めあげた場合、学費を読売新聞が持つ制度。
当時はそうだったが今はわかりません。

新聞配達と受験


大学生のバイトとしては自由時間を制約されますのであまり良いバイトとはいえませんが、予備校生のバイトとしては良いと思います。
自宅から予備校に通う毎日で恐らく多くの人はストレスを感じているのではないでしょうか。その点、毎日適度の運動をしている新聞配達はベストです。朝刊を配達し終わった後、朝日の中、人影もほとんど無い街を自転車で疾走し店までもどる爽快さは最高ですよ。
ストレスを解消し体力もつけつつ受験勉強を実施する。こんないいことは他にはあまりありません。
こんな生活を送りつつ早稲田の商学部に合格していれば十分でしょ。
ちょっと自慢がはいりますが、この時合格した大学は下記の通りです。

立命館大学法学部、法政大学経済学部、明治大学法学部、明治大学政治経済学部政治学科、中央大学法学部政治学科、そして早稲田大学商学部。合格発表の時期は、連日の合格ラッシュで大変でした。
例によって、早稲田の発表は他大学に較べて遅いため、熟慮の末、中央大学法学部政治学科に入学金25万円を払いました。
受験料は自分で全て支払いましたが、この入学金は親に出してもらいました。このことは今でも申し訳ないと思っているし、もったいない金だったと思っています。
結果としては、早稲田の商学部に入学しました。
商学といえばこれからはますます重要になる学問だと思います。
いかに良い物を作るかを考える為に商学を学ぶ事はこれからはさらに重要であります。かつての世の中の基幹学問は法学であったり、経済学であったり経営学でありましたが、これからはマーケテイングの世界 商学の世界で差がでます。

まあそういうことで、受験と新聞配達は相反する関係では無いと思います。どしどし俺たちのように読売奨学生で早稲田に入って来てください。